2007年 05月 02日
ブダペストの地下鉄M2、Őrs vezér tere行きにのってスタジアムを目指します。片道切符で途中下車や乗換えはできないため、もう1枚の切符または乗り継ぎ券が必要です。回数券が便利かもしれません。社内は以前の銀座線を思い出させるようなレトロ感。でもとても素敵ですし、快適でした。 Népstadion駅で下車。駅は以前のスタジアム名のままですね。出口は前後に2つあります。柱には「こっちがスタジアムですよ」という親切な案内がありますが、実はこれ、全く逆です。この指示とは別の、電車の進行方向の最後尾の出口から出ます。 地上に出ると目の前にトラムのターミナルがあります。右手には多目的ドームが新設され、恐らく案内板の「スタジアム」はこれを指すのだと思います。 トラムのターミナルを越えていくと、ドームの向こう側、右手に照明塔が見えますので、あとは照明塔を目指してひたすらまっすぐ大きな道を進んでいきます。 左手の郵便局、そして蚤の市(すごいジャンクで上品な方にはお勧めできません)にぶつかるとスタジアムの全貌がようやく見えます。試合のある日はこのゲートが開くのでしょうが、この日は閉鎖。 しかたがないので、ここを通り過ぎ、かなりスタジアムから離れます。手前にはサブグラウンドがあり、女性チームなどが練習中。それを見ながら通り沿いをコの字型にぐるりと回る格好でひたすら歩き続けます。 かなり大回りし、十数分歩いていくとようやくスタジアムへと続く道にあたります。 ここが唯一中へ入れるゲート。車が往来していますが、厳しそうな管理塔にて警備員が見張っています。外からこの写真をとっていると声がかかり、「中に入って撮れば?」と全く予想もしない対応。「ちょっと待ってて」といって警備室から持ってきたものはスタジアム周辺地図で丁寧に周回方法や撮影スポットまで説明してくれました。おじさん、ありがとう。勤務中なのに、ものすごい酒臭かったこと、お礼に誰にも言いませんからね(笑)。 ゲートを入ってすぐが、バックスタンドの外観。蜂の巣状のデザインの柱がスタンドを支える様はスタジアムがいかに巨大かを感じさせてくれ、さらに石造りが歴史を物語ります。1948年から建設が開始され、5年もの歳月をかけ完成したそうです。 バックスタンドの2階席がゴール裏で切れ、1階席スタンドの最上段まで外から行くことができます。スタンド内に入ることはできませんが、ここからピッチが見渡せました。トラックがありますが、芝生もきれい。スタンドはハンガリーの色でカラーリングされています。 しかし、バックスタンドはハンガリー国旗のはずが白、赤、あれ、白となんだか整然としません。色褪せてもしまっていますし。ちなみにこの2階席は安全上、今では利用されていないらしいです。おかげで68,976分も席があるのに44,000人までしか収容できないとか。やる気のなさがこの座席のいい加減な配色で判ります。 ピッチから離れ、メインスタンド付近まで歩いていくと同じようにピッチを見渡せるスポットがありました。メインスタンドからみたピッチです。イングランド代表はここで1954年3月にハンガリー代表と戦い、なんと1-7という歴史的大敗を喫したそうですね。今でもその最悪記録は破られていないそうです。 メインスタンド中央に重々しい建築物があります。建物の前には門があり、普段は簡単に入れないのでしょうか。この日は道路舗装工事を行っていたせいか、開放されていました。ここがハンガリー体育協会本部のようです。 ここに来て彼の名前をようやく目にすることができました、Puskás Ferenc Stadion。Ferenc Puskás(フェレンツ・プスカシュ)は1950年から4年間、無敗を誇ったハンガリー代表のキャプテンであると同時にレアルマドリーの伝説的英雄でした。2000年からアルツハイマー病を患い、寝たきりの状態がつづき2006年11月17日、帰らぬ人となってしまいました。 この建物の前には記念碑があります。これは彼のものではなく、これまでハンガリーに栄光を与えた数多くのスポーツ選手を記念したもののようです。 このメインの建物の反対側にはサブグラウンドが広がり、向こうにはドームが見えます。サブグラウンドでは草サッカーに興じる若者や散歩する老人など様々。私が特別入れたのかと思っていましたが、誰でもこのスタジアム内に入れるのでした。 さて、スタジアムに戻ります。バックスタンド反対側のコーナーからの写真です。この写真をクリックすると拡大します。 バックスタンドからメインスタンドを見るとこのような感じ。この日も椅子の交換工事をしていました。そのせいかあまり古さを感じないですし、他の東欧諸国のスタジアムにくらべるときれいですね。日本の国立競技場もそうですが、メインスタンドだけ屋根をつけるというのが当時の流行だったのでしょうか。 一周し、蜂の巣状の外観を何度も振り返りながら元来た道を戻り、ここを後にしました。Ferenc Puskás、彼の栄光を称え2001年にその名がつけられました。残念ながら近年の代表試合では観客動員数が伸び悩んでいるせいか新設された小規模会場を利用する頻度が高くなっています。きっと彼も願っているに違いありません。ハンガリー・フットボールが再生され、この栄光と伝統の詰まったスタジアムに大観衆が集い、試合が行われることを。謹んで彼のご冥福をお祈りいたします。 Puskás Ferenc Stadion Istvánmezei út 3-5, Budapest Hungary 44,000人収容 地下鉄M2に乗り、Népstadion駅下車。徒歩20分 Stadium Guidanceメインページへ
by m-mizoo
| 2007-05-02 06:08
| Stadium Guidance
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アバウト
Profile
1967年生まれ。94年国立で行われた浦和対読売戦を機に浦和のサポーターとなる。
2000年のJ2全国行脚から本格的に関東以外のアウェイにも参戦。この頃からCurvaに移動して応援するようになりました。 2004年9月から3年間ロンドンに赴任。2007年10月に帰国しました。 カテゴリ
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Guide for Stadium Hijackers
浦和仲間George Worst氏のサイト。浦和以外にヲタ状態に陥り、更新もまったくなくなりました(笑)。 Urawa Stadium Hijackers そのGeorge師匠のもう1つのサイト。私のStadium Guidanceもそうですが、アウェイ記を紹介するサイトに少なからぬ影響を与えたのは間違いないはず。でもこちらも現在は凍結中です。 Urawa Reds Notebook 浦和仲間、Shigeさんのサイト。タイトルの写真を使用させてもらいました。先日ブログの方に移行。私も到底かなわない熱いサポートで、全国、そしてアジアを駆け回ります。 Urawa Reds Supporters Media Site 以前の国立参戦時によくここを楽しみにしていました。2003年ナビ決勝は必見。最近はアウェイ映像も拝見でき、うれしい限りです。ロンドンにいる私にとっては浦和スタイルを把握する上で欠かすことのできないサイトです。 スコットランドから浦和を思う 2007年6月まで英国に在住した浦和仲間、gersさんのFootballブログです。真似できない観戦数とそのクラブの丁寧な紹介、Footballを取り巻く環境の徹底的解説は読み応え十分です。 最新のトラックバック
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