2007年 07月 08日
先週の展示会の続きです。展示会の場所、名前を出さなかったのはネタバレ防止のためなのでした。今回訪問したのはMilton Keynes、ロンドンから電車で3,40分のところにある新興都市です。 駅からまっすぐ歩いて15分程度のところにある、ショッピングセンターで開催されたsportsmania というこの展示会、お宝探しは一つの目的だったのですが、その他にもここを訪問した大きな理由があったのです。 出展ブースを囲うように作られた並びの列、実はこれ、過去の有名選手を招き、サイン会を開くためのものだったのです。ごく限られた時間、限定者だけの人間のためのスペシャルイベントではありません。ほぼ一日、続々とスタープレイヤーが現れ、自分の席に座りサインに応対してくるのでした。 サインはさすがにタダ、というわけには行きません。慈善事業ではなく、あくまでも金儲けのためのイベントです。(一人に、ではなく)一つサインをもらうのに10~15ポンド(約2500円)、用意された写真を1枚もらい、そこにサインをもらいます。当然持参の写真やユニフォームにもらうのもOK。選手の前に設置されたテーブルで支払いを済ませ、チケットを買ってサインをもらうという、完璧な商売システムです。「わざわざサインを金払ってもらわなくても。」という言葉が聞こえて来そうですが、こんな機会、もう二度とないでしょうし、こんな素晴らしい方々ですからね。もらわないわけにはいかないでしょう。 集まったのは1966年のワールドカップ・イングランド大会の優勝時の勇士たちです!もうだいぶお年をめされましたが、イングランドが誇る唯一の栄冠を達成した彼ら。このイベントを知らず、ただショッピングに来た家族連れも思わず興奮です。ではサインを頂いた方々を紹介します。オヤジである私でも生まれる前の栄光なので、それほどこの時代の選手に関して詳しくはしりませんでしたのでウィキペディアで調べてからこのサイン会に望むという、実に恐縮しながらのサイン依頼でした。 最初からいきなり大御所、ジャッキー・チャールトン(Jack Charlton)。ご存じサー・ボビー・チャールトンのお兄さんです。17歳でプロデビュー。21年もの長い間、リーズ・ユナイテッド一筋でプレイ。後に初の外国人監督としてアイルランドを長年指揮。プレイヤー、そして監督として揺ぎ無い地位を確保したのでした。「僕は(私の差し出した写真に写っていなくて、)このあたりに居たんだよ。サインはこのあたりにすればいい?」と私の失態にも気にされず、気軽にサインに応じてくれました。 ゴードン・バンクス(Gordon Banks)。イングランドの黄金時の名ゴールキーパー、代表暦73試合。66年大会では準々決勝まで1つのゴールも許さず、優勝の立役者の一人であった。続く70年のメキシコ大会にも出場しましたが、その2年後右目を失明し引退を余儀なくされたそうです。一番笑顔で接してくれました。 ラモン(レイ)・ウィルソン(Ray Wilson)。Huddersfield Townで監督だったBill Shankly(後のリバプール名監督)が当時アマチュアクラブでプレイしていた彼をスカウト、以降12年間同じクラブでプレイしました。60年に初代表選出、62年チリ大会、66年のイングランド大会と左サイドバックとしてプレイ、66年大会は最年長選手だったようです。怒っているように見えますが、「お目にかかれて光栄です」というと「本当にありがとう。よく来たね。」と笑顔で答えてくれました。 ジョージ・コーエン(George Cohen)。1956年から13年間Fulham一筋でプレイ。当時のジョージ・ベストが「私が過去対戦した中でもっとも優れたフルバックだ」という名言が残るほどの当時の名ディフェンダーだったそうです。30歳の誕生日を迎える前に引退、その後胃癌が見つかり、14年間もの闘病生活を乗り越え、1980年代に見事公の場にカムバックしました。今もこの通り、ご健在です。 マーチン・ピータース(Martin Peters)。Bobby MooreやGoeff Hurstらとウエスト・ハムで活躍、その才能が監督の目に留まり、ワールドカップ年である66年にイングランド代表に抜擢、決勝戦で2点目を決めたのも彼でした「時代を10年先取りした選手である。」という当時の監督の賞賛はイングランド史に残る名言だそうです。まだ63歳、若いですね。 ロジャー・ハント(Roger Hunt)。66年大会にて予選リーグで3得点を上げ、決勝トーナメント進出の原動力となりました。リバプールFCにて10年間プレイ、称号は授与していないですが、アンフィールドにおいては“サー・ロジャー”というニックネームがつくほど彼は英雄でした。2006年にフットボールの殿堂入りを果たしました。非常に親しくしてくれて恐縮でした。 ノビー・スタイルス(Nobby Stiles)。1960年から11年間マンUでプレイした名MF。優勝時、ジュール・リメ杯を掲げた踊りが話題になり、それを基にして次の歌詞が作られたのです。 "We can dance Nobby's dance, we can dance it in France". Three Lions 98。最も有名といっても過言ではない、イングランド代表オフィシャル(?)ソングのリニューアル版。フランスW杯用に歌詞を若干変えたもので、 「俺たちはノビー・ダンスを踊ってやる、そうフランスで踊ってやるんだ」という、優勝してカップを掲げたノビー・スタイルのダンスを是非フランスで再現したいという思いを込めた歌詞、その踊りの張本人です。初めは「イングランドのコーチングスタッフの方??」というほどお歳を召した様に感じましたが、とても陽気。私が用意したサイン用の写真ボードをその踊りを再現するかのごとく、掲げてポーズを気取ってくれました。 実はもう一人、超目玉としてサー・ジェフ・ハースト(Sir Jeff Hurst)が来る予定だったのですが、待てど暮らせどやって来ず、しかたなくあきらめて帰りました。若くして亡くなった もらったサインはこんな感じ。 あれからもう40年以上が経過しました。わずか1度の名誉と嘆くイングランド人は本当に多いですね。でも翻ってみれば彼らが成し遂げた栄冠が決して色褪せることなく今でも輝き続けているのは、その1回があるからこそです。金払ってサインをもらうというのにちょっとためらいましたが、思い切って全員にもらいにいってよかった。貴重な経験ができました。 Home
by m-mizoo
| 2007-07-08 05:58
| 今週の逸品
|
アバウト
Profile
1967年生まれ。94年国立で行われた浦和対読売戦を機に浦和のサポーターとなる。
2000年のJ2全国行脚から本格的に関東以外のアウェイにも参戦。この頃からCurvaに移動して応援するようになりました。 2004年9月から3年間ロンドンに赴任。2007年10月に帰国しました。 カテゴリ
以前の記事
Link
Guide for Stadium Hijackers
浦和仲間George Worst氏のサイト。浦和以外にヲタ状態に陥り、更新もまったくなくなりました(笑)。 Urawa Stadium Hijackers そのGeorge師匠のもう1つのサイト。私のStadium Guidanceもそうですが、アウェイ記を紹介するサイトに少なからぬ影響を与えたのは間違いないはず。でもこちらも現在は凍結中です。 Urawa Reds Notebook 浦和仲間、Shigeさんのサイト。タイトルの写真を使用させてもらいました。先日ブログの方に移行。私も到底かなわない熱いサポートで、全国、そしてアジアを駆け回ります。 Urawa Reds Supporters Media Site 以前の国立参戦時によくここを楽しみにしていました。2003年ナビ決勝は必見。最近はアウェイ映像も拝見でき、うれしい限りです。ロンドンにいる私にとっては浦和スタイルを把握する上で欠かすことのできないサイトです。 スコットランドから浦和を思う 2007年6月まで英国に在住した浦和仲間、gersさんのFootballブログです。真似できない観戦数とそのクラブの丁寧な紹介、Footballを取り巻く環境の徹底的解説は読み応え十分です。 最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||